震災前 2010年1月
「サンマの刺し身ありますか」。男性客4人のグループが注文した。南三陸町の「志津川お さかな通り商店街」にある居酒屋「しお彩」で、厨房(ちゅうぼう)を1人で切り盛りする店 主の後藤一美さん(38)は迷わず、「はいよー」と応じた。
忘年会シーズン真っ盛りの先月下旬。旬を過ぎたサンマは入荷が少なく、この日はすで に品切れだった。だが、隣は鮮魚店で、いつでも新鮮な魚を届けてくれる。鮮魚店は既に 閉めていたが、電話で注文を受けた三浦隆司さん(45)はすぐに、活きの良いサンマを 持ってきた。後藤さんは「商店街に支えられ、店も成り立っている」と話す。
商店街は、1960年代までは、鮮魚店のほか、靴屋や豆腐屋などでにぎわっていたが、 ここ数年、隣接する石巻市などに大型商業施設ができ、活気を失っていた。しお彩がある 場所も、かつては大手の居酒屋店だったが撤退し、約5年前から空き店舗だった。
じり貧の商店街を活性化しようと、2004年に南三陸商工会の昆野慶弥さん(58) らが、「力のある産業で商店街作りをしよう」と立ち上がった。
商店街には名称すらなかった。多様な業種を集めた商店街も考えられたが、町の基幹産 業の新鮮な魚介類を前面に押し出し、名称も「おさかな通り」とした。商店街で一番新し い店が07年11月に開店したしお彩だ。
後藤さんは同町出身で、16歳から仙台市内の日本料理店で板前の修業をして、23歳 からは町内のすし屋で働いていた。ただ、すし屋は敷居が高いと感じ、「気軽に地元の海産 物を味わってもらいたい」という思いがあった。
そんな時、誘ってくれたのが三浦さん。隣で店を開くことにして、「誰でも入りやすい店」 と、後藤さんは、近くの志津川港で水揚げされた魚介類を使った丼料理を売り物にした。 狙いはあたり、平日には地元の会社員らが行列を作り、休日には東京や仙台などからも客 が訪れる。後藤さんは「食を通じて町に人を呼び込み、商店街を元気にしたい」と意気込む。
店の出店が、徐々に商店街に活気をもたらしている。
商店街でかまぼこ屋を営む及川善祐さん(56)は、「『おいしいかまぼこ屋がある』と 紹介されて来るお客さんが増えた」と話す。新しい店が、商店街の人の流れを変え、相乗 効果を生み出している。
(小野健太郎)
(2010 年 1 月 8 日 読売新聞から)
震災前 2009年5月
三陸の好漁場に恵まれ、水産資源の豊富な宮城県南三陸町では、この「海の幸」を前面 に掲げたイベント「志津川おさかな通り大漁市」を商店街で開催している。町内外の消費 者に商店街を回遊してもらい、地域の活性化を図るのがねらいだ。商店街ではこのイベン トをまちづくりと位置づけ、ほかにない特色あるまちづくりで地域間競争に打ち勝とうと している。
三陸沖に世界有数の漁場があり、魚介類の宝庫の志津川湾を抱える宮城県南三陸町。志 津川地区の国道45号から旧魚市場へと続く約 200メートルの通称「おさかな通り」 などで、平成16年から秋に「志津川おさかな通り大漁市」が開かれている。
商店街の活性化を模索してきた南三陸商工会商業部会長が旗振り役となり、鮮魚店など の地元の商店主らが実行委員会を組織。それまで名前のなかった通りに「おさかな通り」 と名付け、「大漁市」を開催。新鮮な魚介類の販売のほか、サケ、カキ、サンマなどの試食、 農家や漁家の物産直売などがあり、大勢の人でにぎわう。
「多業種で勝負しても、ほかのまちも似たようなことはでき、大型店にも負ける。それな らばまちが“強み”を持つ業種の集積で勝負した方がいい」と昆野さんはイベントの開催 理由を説明する。
産経ニュース【活気を呼び戻せ 新・がんばる商店街】(2)
志津川おさかな通り 宮城・南三陸大漁市 から